- 2022年04月08日
日本のtattoo文化~タトゥーのイメージはなぜ悪い?~
日本のtattooの文化
はじめまして!
t.c tattoo tokyo-見習いを始めたばかりのmiwaです(^ ^)
今後とも宜しくお願い致します!
私はアパレル会社に入社するタイミングで
初めてtattooを入れましたが、
やっぱりtattooを入れるとなると家族に
反対されると分かっていたので、
何も言わずに入れました。笑
母と姉は分かってくれましたが、
ただ父にも父方の親戚にも未だに
tattooが入っていることも
彫師を目指していることも
全く言っていません笑
私がそこで思ったことは、
"tattooの悪いイメージの原因はなんだろう"
と思い、
今回はそれについて書きます。
*日本のtattoo文化*
日本の刺青の歴史は縄文から始まっていて
↑長いですね!
盛んに行われていました。
その頃は魔除け、呪術的な意味合いでしたが、
奈良時代以降になると、中国から伝来した
儒教の影響もあり廃れてしまいます。
(アイヌや琉球では廃れることなく続きます!)
そして戦国時代では野垂れ死んだとて、
雑兵たちが自分だと分かる様に
指に名前や住所を入れていたらしいです!
(一説によります)
又、この自分だと分かる様に入れていた文化は
江戸時代の町火消(今で言う消防隊)も
同じ理由で入れていた説が有名ですね(╹◡╹)
江戸中期になると刺青に対する
現代日本のマイナスイメージの影響を
与えるきっかけとなる
罪人の軽度な刑罰の一つとして
『入墨刑』が採用されます。
当時は入墨(=罪人)、彫り物(=ファッション)
と呼ばれていました。
なので刺青という名前は存在せず、
谷崎潤一郎の「刺青(しせい)」という小説が
有名になってから"刺青"という言葉が生まれました。
罪人が入れる入墨にはどこで犯罪を犯したのかが
分かる様に場所(藩)によって入れる箇所、
デザインが異なっていました。
額の真ん中に入れる場所(藩)もあったみたいです!
中には反省せず罪を何回も重ねるとデザインの
画数が増えていくところもあったとか!
一発で罪人ということが分かりますね笑
そして1868年に江戸時代が終わり、
西洋化、近代化が進み入墨刑も廃止されます。
町火消も無くなり、
消防は公務員の仕事となりました。
遂には政府は古い習慣を無くすために
1908年に『彫師及び依頼者には30日未満の拘束、
20円未満(現在の約7万6000円)の罰金』
を科して禁止にします。
しかし黙認され、
彫師の熱い想いと顧客の想いによって
途絶えることなく受け継がれていきます。
そして第二次世界大戦後、
刺青の規制する刑法も無くなり、
第1回東京オリンピックをきっかけに
海外への渡航が解禁となったことで
マシンやインクを買い付ける彫師も出てきました。
それにより手彫りから電気マシンへと道具も変わり
様々なデザインが近代化と共に増えていきました。
60年代に入ると『ヤクザ映画』が流行します。
役者さんの肌に描かれた刺青は登場人物の設定と
ストーリーを視覚的に分かりやすくし、
観客を魅了していくことで
『男らしさの象徴』から
『ヤクザの象徴』のイメージが社会的に
植え付けられていき、それは現在の令和でも
根強く残っています。
これらの長ーい歴史の影響もあり、
今でも制限されることが多いみたいですね!
ただ、tattooに対して一昔前と比較すると
寛容になってきているのでは?と私は思います。
今後もっと個性を大事にして
自分らしくいられる様になっていくといいですね!
長くなりましたが、
最後まで読んで下さりありがとうございます(^^)